私の記憶の1ページ。

備忘録として書いていきます

出産を終えてから。

 

2024年1月24日、予定日当日の

15時55分に男の子を無事出産した。

 

それからは、赤ちゃんは

体重など測ったりするために連れていかれ、

 

私は会陰切開したため

自然と胎盤が出たあとに会陰の傷口を

糸で縫ってもらって、

後処理をしてもらっていた。

 

叫び過ぎて喉痛かった。

 

そのときに私自身の

バイタル(血圧、体温)を測ってもらうと、

 

熱が38度まで上がっていた。

 

 

だけども、出産が終わったあと

2時間ほど分娩室のままでママ1人で

休めると聞いていたのに、

 

38度も熱があってフラフラだったのに、

 

後処理が終わったあとすぐ

病室に移動させられて赤ちゃんと

母子同室になった。

 

 

聞いてた話しと違ーーう!!

せめて熱下がるまでは赤ちゃん預かってよー!!

 

確かに後処理に2時間以上、

時間かかってたけどさ。(4時間くらいかかった)

それが休憩として見なされたんかな?

 

 

結局、19時半頃に病室に移動して、

22時頃まではなんとか赤ちゃんのお世話、

頑張ったけど、

1分も立ってられないくらい身体がフラフラで、

 

ナースコールでお世話出来ないです〜と

泣き言を看護師さんに言って、

一晩赤ちゃんを預かってもらいました。

 

泣き言こっちから言わなくても、

出産した当日は預かってよ赤ちゃん。

 

熱は次の日の朝には平熱に下がりました。

 

 

そして

困ったことその②

やっぱり尿意を感じない&尿と便が出ない

 

出産が終わってからも、

おしっこを踏ん張っても

ちょろっとしか出せなくて、

出産直後に尿道カテーテルで人工的に

出してもらった。

 

自力でそれなりの量を踏ん張らずに

おしっこを出せるようになったのは

出産2日目の夜でした。

 

便も、踏ん張ると会陰切開した傷口が

開いてしまうんじゃないかと思って、

怖くてなかなか出すことができず。

 

マグミットという便秘薬を出してもらって

水分をたくさん取るようにしたら、

 

出産後3日目辺りからなんとか自力で

出せるようになりました。

(もう一度出産した気分に何回もなった)

 

ただ、マグミットを飲んだあとの便は

真っ黒すぎてビビった。

 

 

それらが、出産を経験して

予想外でびっくりだけど困ったことです。

 

 

計画誘発分娩出産。その4

 

 

心が折れたことその③

子宮口が全部開いたあとの方が痛過ぎた

 

1月23日の15時頃にやっと、

子宮口が全開(10センチ)になった。

 

やっと生める!!!

あとちょっとだ!!(自分に鼓舞)

 

そう思ったけど、

 

「赤ちゃんの頭がまだ見えてないから

まだいきむことはできないよ〜

もうちょっと痛みを逃しててね〜」

 

はぁ〜??

赤ちゃーん!!

もう痛みの位置はお尻から膣の方に

変わってるんですけど?!

 

しかもさっきと違うのは膨大なエネルギーが

何か(赤ちゃんなんだけど)を押し出そうと

している感じがすごいする!!

自然といきんでしまうよこれ!!

いきむなって無理!!!

 

ただ、これを男性や出産したことない女性に

伝えるとしたら、

ホントに強い下痢をしたときって、

不可抗力で肛門に力が入って

踏ん張ってしまうときありません?

それの膣バージョン、もっと強い不可抗力、

って感じです。

(伝わった?笑)

 

子宮口全開大になったら

すぐいきめるんじゃないの?

そんなの聞いてなーい!!

ここで5回目、心が折れました。

 

その、やっと10センチになったのに、

いきみたいのにいきんだらダメって言われている

この時間はホントに痛かった。

 

痛過ぎて

「もう帝王切開にして早く赤ちゃん出してよー!」

叫んでました。

 

あとちょっとだから、と

色々な看護師さんや助産師さんが

そんな私をなだめて。

 

 

そして多分15時半ちょい前くらいに

いきんでも大丈夫なくらい、

赤ちゃんの頭が子宮口から見えるように

なったから、

「いきんでー!!!」言われる。

 

陣痛の痛みがあるときにいきむたびに、

膣に大きなブツ(赤ちゃん)が

挟まっていくのがわかる。

 

感覚としては、

よく聞く「鼻からスイカを出す感じ」とか

あると思うけど、それは多分、

ここのタイミングのことを言ってると思う。

(出産したことある人はイメージはつくと思う)

 

もっとわかりやすく言うと(言ってるつもり)、

今まですごい便秘だった人が

やっと便を出せそうなのに

肛門にかなりでかいブツ(便)が挟まって

何回も踏ん張らないと出せないとき、

踏ん張ってる間って痛くてしんどくないですか?

それの膣バージョン、もっと痛いバージョン、

って感じです。(伝わるかなこれ?)

 

しかも、ホントに便のときは

ずっと踏ん張ってもいいけど、

 

出産のときは

陣痛の痛みがあるときだけ踏ん張ることができる。

痛みが落ち着いたら何かが膣に挟まってる痛みを

耐えないといけない。

 

要するに、いきんでいいとなってから、

ずっと痛い!!!!

 

今までは

痛い!→痛みが和らぐ→痛い!→痛みが和らぐ、

この繰り返しだけど、

 

陣痛、痛い!→膣が痛い!→陣痛、痛い!→膣が痛い!

この繰り返し。

 

6回目、心が折れながらも、

4〜5回くらいいきむのを繰り返して、

 

1月24日15時55分、予定日当日に

無事に男の子が生まれました。

 

 

分娩時間は25時間8分。

 

 

安産ではなかったね。(笑)

 

 

 

赤ちゃんが生まれた瞬間って、

 

「やっと会えたね、、、😭」と

号泣するんだろうな〜なんて、

妊娠中に想像してたけど、

 

現実↓

「やっとブツ(赤ちゃん)出せた、、、

痛かった、、、」

 

赤ちゃんの身体全てが外に出た瞬間、

痛みがスンッ!!と一瞬にして消えた感覚に

「なんかすげー…」と妙に冷静。放心状態。

 

涙なんか一切出なかった。(笑)

 

 

立ち会いしてくれた母が、

赤ちゃんの身体全てが外に出て

赤ちゃんが産声を上げた瞬間に涙を流しながら

 

「頑張ったね〜〜〜」

 

と頭を撫でてくれていた。

(放心状態すぎて反応できなかった。ごめん)

 

 

陣痛の痛みを逃している間はずっと、

テニスボールをお尻に当てる作業をしてくれて

 

いきんでいいよとなってからは

ずっと手を握ってくれていた母には

感謝してます。心強かった。

 

そんな感じで私の出産は終えました。

 

 

さっきから私は痛みの例えを

便で例えてたが、ホントに正直、

便秘のときの痛みに似てると思う。

 

私は誘発で促進剤を使ったけど、

自然に陣痛が来てお産をした方の中には

「強い便意だと思って陣痛と気づかなかった」

という人もいるらしい。

すごく納得します。

 

 

計画誘発分娩出産。その3

 

心が折れたことその②

子宮口がなかなか開かない

 

1月23日23時過ぎに立ち会いする母が

病院に到着する。

 

陣痛が来るたびにお尻にテニスボールを

当てると痛みがほんのちょっとだけマシになる。

 

母にテニスボールを当ててもらって

深呼吸をして痛みを逃す。

 

24日のAM2時頃、助産師さんに

子宮口の開き具合を確認してもらった。

 

「うーん、、、まだ5.5センチくらいかなぁ」

 

 

はあ?

もう子宮口、おととい5センチになってから

24時間以上経ってんのに0.5センチしか

増えてないの??

こんなに痛いのに??

(22日よりはホントに遥かに痛みが強い。

でもまだ実は序の口)

 

ここで心が2回目折れました。

 

 

「体力奪われてるから

少しでもいいから寝るんだよ」と

看護師さんや助産師さんに言われるも、

 

いや無理っすこんな激痛が4〜5分置きに

来るこの状況でどう寝ろと?

 

母も、目をつぶるだけでも違うから寝てと

言ってくる(心配してくれてるのは知ってる)。

 

ただ、このときの痛みはまだ

お腹に強い生理痛、って感じの痛み。

 

AM4時半すぎ頃から、

痛みの感じ方が変わってきた。

 

お腹が痛いというより

腰が痛くなってきて、

でも腰の痛みの感じ方を言葉で

表現するのは難しい。

 

痛みの根源が痛みじゃない…

腰に膨大なエネルギーが発生してる感じ。

(絶対伝わらない笑)

(経験したことある人じゃないとわからんね笑)

 

 

痛みの位置が少しずつ下に下がってきてるのは

赤ちゃんも少しずつ下に下がってきてる証拠。

 

 

AM5時前にまた子宮口の開き具合を

見てもらうと、

 

「だいたい7センチくらいかなあ」

 

いやまあさっきよりは進んだよ?

進んだけど感覚的にはもう9センチくらいに

なっててほしかった。

(ちなみに陣痛自体はもう2〜3分置きに)

 

またここで3回目、心折れました。

 

そして

AM7〜8時頃にまた促進剤の点滴再開。

「今日、絶対生もうね!」と

助産師さんから言われる。

 

促進剤をスタートしたら割とすぐ

強い痛みを感じる場所が

腰からお尻に変わった。

(膨大なエネルギー発動中)

 

ここらへんで「破水させるねー」と

言われ、膜を人工的に破いてもらう。

羊水って生暖かいのね、、、

もし予定日前に自然とお産になるんであれば

先に破水から来てほしいななんて思っていた。

 

あんなに楽しみにしてた破水、

一瞬で終わる。

 

9時くらいに見てもらうも、

「うん、7センチのままだね」

 

 

さっきと一緒かいな!!!!

ここで4回目、心が折れました。

 

 

そしてそこで助産師さんから言われる一言

「お産進めるために起き上がって胡座をかこう。

できればスクワットもしよっか」

 

今まで私はベッドに横になって

陣痛の痛みを逃して耐えていた。

 

体勢を変えるのもしんどくて

無理ー!鬼だよ鬼ー!と思った。

なんとか胡座はかけたけど、

スクワットは無理っす。痛過ぎて。

 

そして胡座をかくと

羊水が股からドバドバ出てくる出てくる。

 

 

 

胡座の状態で痛みを逃して、

 

やっと正午前後くらいに

子宮口9センチになった。

 

 

そして相変わらず陣痛が来るたびに

深呼吸を続けるも、

 

実は子宮口が7センチくらいになった辺りから

ホントに痛過ぎて、

 

「フーーー!!フーーー!!フーーーー!!」

 

もう深呼吸風に叫んでました。

息を「ふぅー、、、」と空気を吐く感じは

もうできない。痛過ぎて。

 

9センチになる頃には

「フーーー!!いたーーーい!!!フーーー!!うわーー!!!フーーー!!」

 

深呼吸風の叫びだけじゃなく、

普通の叫びも入ってた。

 

(ホントは声出せないくらい痛いけど、

深呼吸が一番ベストではあるが

せめて声は出さないとお腹の赤ちゃんに

酸素が届かなくて苦しくなってしまう)

 

 

一応、朝食も昼食も入院食が来るけど

もちろん食べる余裕はゼロ。

 

もったいないので運ばれて来た入院食は

母に食べてもらい、

私は母が売店で買ってきたウイダーゼリーを

飲んで栄養補給していた。

 

ホントに子宮口9センチになるまでが、

長過ぎた。

 

入院食を廊下にある机で食べていた母が、

「あんたの声、廊下まで筒抜けすぎたよ」

 

知るか!!

 

 

計画誘発分娩出産。その2

 

1月22日20時頃にバルーンが取れたあとすぐ、

「今日の分は誘発剤の点滴も

一旦止めるねー」と看護師さんから言われた。

 

誘発剤とバルーンの効果で、

そのまま陣痛が続いてお産になればいいが、

 

バルーンの効果で子宮口5センチは

開いたままだが誘発剤の効果が薄れて

陣痛が遠のいてしまうこともあるという。

 

現に私も、夜中0時頃まではなかなか

10分置きくらいに痛みで起きて、

また寝て、を繰り返していたが、

 

いつのまにかぐっすり寝れるほど

陣痛が遠のいてしまっていた。

 

同室の隣の女性も同じ様子だった。

 

 

 

 

次の日、1月23日。

計画誘発分娩出産2日目は誘発剤の点滴のみ。

点滴を朝9時頃から再開した。

 

そうするとまた割とすぐに痛みが来る。

昨日のバルーンの効果ですでに

子宮口5センチ開いているので、

昨日よりも痛みが強く、お昼ご飯も

夜ご飯もほとんど食べる余裕がない。

 

そんなこんなでまた結局、

19時半頃まで点滴は続いた。

 

18時半頃にまた「今日の分の点滴は

終わりにするねー」と看護師さんに言われる。

 

だけど、21時頃になっても、

陣痛が続いており、間隔も5分間隔と

どんどん短くなってきていた。

 

そのためか看護師さんが結構な頻度で

NSTのグラフを見に病室に来る。

 

この日の私の夜勤帯担当の看護師さんから

明日の朝頃産まれるかもしれないから分娩室に

移動しましょうと言われ、

 

21時半頃、分娩室に移動した。

 

昨日は隣の女性の方がお産の進み具合が

早かったけど、今日は私の方が早かった。

 

そして、立ち会いする方を呼んでも

いいとのことで、陣痛で痛い中、

なんとか実母に電話をし、

来てほしいことを伝える。

(1時間半くらいで到着)

 

母が来てめちゃくちゃ心強かった。

 

困ったことその①

陣痛中 尿意がまったくない& 痛みで便が出せない

 

実は入院する前日から便が出ておらず、

なんとなく出したい気はするものの、

陣痛がホントに痛過ぎて

踏ん張ることができない。

 

そして出産は体力を奪われていくため

水分補給はしっかりとと言われていたから

陣痛の痛みのない時間は常に水や

ポカリなどを飲むよう心掛けていた。

 

なのに、22日に入院して促進剤などの

処置が施され痛みが来てからというもの、

何時間経っても尿意がない。

 

でも膀胱には溜まっているはずだと思い、

トイレに行くが出ない。

踏ん張ってもほんのちょろっとしか出ない。

(おしっこを踏ん張らないと出せないって

どういうことなの)

 

膀胱炎が怖くなって看護師さんに相談。

 

23日の夜中と、出産した直後に

尿道カテーテルでおしっこを出してもらった。

 

全く尿を出してなかった割には

カテーテルで取ってもらった結果、

そこまで膀胱に尿は溜まっていなかったらしく

汗として出ていたみたい。

「この量じゃ尿意感じなくて当然だわ」

言われた(笑)

 

便は結局、全く出せないまま

出産をしました。

 

 

計画誘発分娩出産。その1

 

正直、メンタルズタボロだった妊娠期間に

終止符を打つときがやってきた。

 

自分で決めた計画誘発分娩出産。

 

予定日は2024年1月24日。

病院と相談して1月22日から入院して

出産を行うことになった。

 

22日の朝、病院に着くまで

赤ちゃんが元気かホントに不安だった。

 

着いてすぐ入院着に着替えて

ノンストレステスト(略 NST)をする。

(※お腹の赤ちゃんにストレスをかけずに

赤ちゃんの心拍とお母さんのお腹の張りを機械で

グラフ化して赤ちゃんが元気か見るテスト)

 

赤ちゃんの心拍の音聞いて、

すっごく安心した。

もうすぐ、会えるね。

 

 

まず案内された病室には

すでに同室に入院している女性がいて、

会話はすることなかったけど、

隣から聞こえて来る看護師さんとの会話を

聞くに、私と同じく計画誘発分娩出産を

行うようであった。

(私と違うのは、

彼女は予定日をとっくに超えていたための

計画誘発分娩出産であるということ)

 

NSTの結果が順調だったため、

早速陣痛を起こす処置をすることになった。

 

ここから私は、出産を終えるまで

結構な回数、心が折れてしまうのである。

そして、すごく困ったことにも遭遇する。

 

心が折れたことその①

隣の女性のお産の進みの方が早い

 

誘発分娩初日はバルーン処置と

促進剤処置を同時に行なった。

 

同室の女性と、だいたい同じ時間に

先生に呼ばれてその処置をしてもらう。

(午前10時前後)

 

するとどんどんお腹の痛みが

10分置きくらい来るようになった。

 

陣痛の痛みが来ているときは

「ふぅー…ふぅー…」と深呼吸をするよう

指導を妊婦健診のときにすでに受けていた。

 

私も、深呼吸をするが、

隣からも深呼吸をして痛みを逃しているのが

聞こえて来る。

会話はしてないけど、その深呼吸を聞くと

勝手に陣痛を一緒に乗り越えていく、

同志のように感じていた。

 

バルーン処置は子宮口にゴムの袋を入れて、

その袋の中に生理食塩水を注入することで

袋を風船のように膨らませて

膨らませた袋の大きさ分だけ

子宮口を開くものであり、

完全に開いたら子宮口から勝手に

バルーンが抜ける。

膨らませた袋が5センチであれば

子宮口も5センチ開いたということ。

私は、処置を開始する前は1センチが

ギリ空いてるかなーくらいの状態だった。

 

確かに痛みは出て来たけど、この時点では

【お昼ご飯までお腹空いたな何かな】と

考える余裕は大いにあって、

実際12時頃に来た初入院食のお昼ご飯は

全部食べることができた。

 

 

でも、14時頃から痛みがどんどん増していく。

10分置きに陣痛が来るたびに深呼吸をする。

 

 

16時頃になったとき。

隣の女性がナースコールを押し、

来てくれた看護師さんに言った一言

 

「バルーン取れたかもしれないです」

 

マジで?

確認してもらうとホントに取れていた模様。

 

ついでに〜みたいな感じで

その看護師さんが私のところまで来て

私のバルーンの進み具合も見てくれた。

 

「全然まだ取れてないね〜」と。

 

 

マジで?

こんなに痛いのに?

(そのときは本気でそう思っていたけど、

今思えば全然序の口の痛さである)

 

もう夜ご飯のメニューを考える余裕はなく、

夜ご飯はギリ半分食べること

できたかなくらいだった。

 

結局、私のバルーンが抜けたのは

20時頃だった。

 

バルーンが抜けて安心した横で、

また隣の女性がナースコールを押していた。

 

来てくれた看護師さんに言った一言

 

「今トイレ行ったらおしるし来てました!」

 

 

マジで?

全然私、おしるしとか兆候ないんだけど。

 

 

なんか、私、

進み具合遅れてない?

全然同志じゃねーわ!!

 

焦る必要はどこにもないのに、

隣からどんどんお産が進んでいる様子が

わかると、置いていかれる感覚が

すごくて、心が折れました。

 

出産のときは、できれば

立ち会いしてくれる知ってる人は一緒に

いてほしいけど、

知らない人は一緒の部屋にいない方が

心の安定は保たれるかもしれないです。

 

 

 

死産に対する恐怖。

 

出産前の里帰りを決め、実家に帰った。

 

臨月に入ってからの死産(お腹の中で

赤ちゃんがすでに亡くなり産声がない出産)が

あることをまた助産師hisakoさんの

youtubeチャンネルで知った私。

 

その動画でhisakoさんが、

胎動カウント(胎動を10回感じるのに

かかる時間を測ってお腹の赤ちゃんが元気か

確かめる方法)の重要性を語っていたので

 

神経質になって胎動のチェックを

四六時中する毎日。

 

親友の愛ちゃんが自殺で亡くなって、

お腹の赤ちゃんまで失ったら私はもう

生きていけなくなる自信しかなかった。

 

今思えば、

愛に手紙を書いて気持ちの整理が

ついたと思っていたけど、

実は全然ついていなかった。

 

 

赤ちゃんはお腹の中でもちゃんと

寝ている時間もあるから、

(1回の睡眠時間平均30分〜40分)

その時間はほとんど胎動がないのが普通。

それも知っているけど、もし

この胎動のない時間が起きてるのに

苦しんでいるサインだったら?

今病院いかないと助けられないんじゃ?

 

でも昨日、健診行ったばかりで

昨日大丈夫って言われたばかりだしな、、、

 

そんな葛藤を常にする毎日。

 

 

今すぐ入院して、

胎動が少ない?とか不安になったら

すぐ確認してもらえる環境にいたいとか、

 

臨月を過ぎているんだから

健診で元気だとわかった時点で今すぐ

お腹から出して、目で見て元気か

わかるようにしたいとか、

 

本気で思ってた。

 

 

今思えば、産前のマタニティブルーに

なっていたんだと思う。

 

そんな私に対して、

私と喧嘩しないで対処ができるのは

正直、両親だけだと思うから、

この時期は旦那と住んでいなくて

良かったと思う。

 

 

死産が怖くて、

ベビーグッズを揃えるのも、

SNSで妊娠報告するのも、

 

もしこの子がいなくなったら

喜んでくれた友達や親友も悲しませる、

 

この子がいなくなったら

赤ちゃんがいないのにベビーグッズがある

部屋を見るのは辛くなる、

 

そんな思いから正直

あまりしたくないなと思う自分がいた。

 

もちろん、生まれたらすぐ使わなきゃ

いけないもの(おむつとか哺乳瓶とか)も

いるから、事前に買わなきゃいけないものが

あるのも頭ではわかってはいるんだけど。

 

妊婦健診は妊娠23週までは4週間ごと、

妊娠24週から35週までは2週間ごと、

妊娠36週からは1週間ごとにあるが、

 

23週までは「4週間なんて待てない、

2週間なら耐えられる、早く24週を

超えないかな」なんて思っていたけど、

 

臨月(36週〜)を迎える頃は正直

1週間ごとの健診すら待てなくなるくらい

精神状態は良くなかった。

 

 

 

次の妊娠は、もっと赤ちゃんのことを

信じてどっしり構えていられて

生まれてくるのを楽しみにできる

心の余裕を持ちたいし、

今回も持ちたかったけど無理だった。

 

 

旦那と相談して、

ホントは臨月入ったらすぐ

生みたいくらいの気持ちだったが、

 

親の都合で誕生日の運命を決めたくない、

子供がお腹から出たいと思ったタイミングで

生まれてきてほしいという旦那の意見も

あながち間違いではないと思うけど、

 

でもやっぱり私自身の精神状態的に

予定日を超えても待てる自信は全くなかった。

 

だから予定日の前々日から入院して

計画的に誘発分娩で生むことを決めた。

 

 

今回の妊婦生活は不安だらけの期間で

楽しめる余裕があった期間はホントに

少なかったなと思う。

 

次回もしまた妊娠することができたら

もっと楽しみたいな。

 

 

〜補足〜

 

助産師hisakoさんのyoutubeチャンネルで

知ってしまった、と書いてるけど、

hisakoさんが悪いわけじゃないです。

 

その動画を見たのは私なので、

私の責任であり、

 

また妊娠期間を送るにあたって、

どんなリスクがあるのかを知ることは大事で

それに対する対策方法があるものもあるから

知識を入れる意味で私も見ました。

 

それを見て不安になるのは私だけではなく

全妊婦さん共通だと思います。

 

ただ、私の場合はそこに親友の死という、

不運なことが重なってしまい、

さらに精神状態を悪くさせてしまっただけ。

 

みんな、赤ちゃんが無事に

生まれてくるまで不安しかない。

 

絶対大丈夫な保証なんてない。

 

みんな頑張ってます。

私だけじゃない。

それははっきり言いたいです。

 

 

安定期を迎えてから。

 

安定期(16週)を迎えつわりが終わっても、

私は慎重に行こうと思って22週が過ぎるまで

里帰りを続けた。

 

早産で生まれても、22週を超えていれば

救命措置で助けてもらえる。

 

裏を言えば、

21週未満だとお腹の中での発達が未熟で

生きられないと見なされ流産扱いとなり

見守られながら亡くなっていくということ。

 

助産師hisakoさんのyoutubeチャンネルで

そんな知識を手に入れてしまった私は、

 

22週を超えるまで絶対に安静にしないと、

早産になったらどうしよう。

 

そんな思いから旦那に了承をもらい、

22週に入るぎりぎりまで里帰りを続けた。

 

 

 

そして、つわり期間の里帰りを終え、

旦那との2人での生活に戻った。

 

そこからは不安になることもあったけど

相変わらずエンジェルサウンズで

心拍の音を聞いて安心して、

旦那と色々なアニメを見たりして

気を紛らせながら過ごしていった。

 

たまに不安すぎて妊婦健診以外で

助産院を受診したこともあったけど、

比較的穏やかな生活を送っていたと思う。

 

ただ、妊婦にお風呂掃除とトイレ掃除は

させたらあかんということは言えます。

純粋にしんどかった。お腹重くて。

 

 

 

 

助産院では分娩はできないため

妊娠32週を超えたら分娩ができる産婦人科

転院する必要がある。

 

私の地元では2つの総合病院の産婦人科しか

分娩ができる病院がなかった。

そのうちの一つの総合病院は、

友達が1年前に出産しており

色々良かったと聞いていたのと、

私が学生時代に歯科口腔外科で

よく通った馴染みのある所だったから

そこにした。

 

そして、妊娠36週を超えたら

妊婦健診が1週間ごとになることを

知っていたため旦那の仕事の事情と

私達の家計事情を考えた結果、

 

妊娠34週頃からの里帰りを決めた。