私の記憶の1ページ。

備忘録として書いていきます

計画誘発分娩出産。その1

 

正直、メンタルズタボロだった妊娠期間に

終止符を打つときがやってきた。

 

自分で決めた計画誘発分娩出産。

 

予定日は2024年1月24日。

病院と相談して1月22日から入院して

出産を行うことになった。

 

22日の朝、病院に着くまで

赤ちゃんが元気かホントに不安だった。

 

着いてすぐ入院着に着替えて

ノンストレステスト(略 NST)をする。

(※お腹の赤ちゃんにストレスをかけずに

赤ちゃんの心拍とお母さんのお腹の張りを機械で

グラフ化して赤ちゃんが元気か見るテスト)

 

赤ちゃんの心拍の音聞いて、

すっごく安心した。

もうすぐ、会えるね。

 

 

まず案内された病室には

すでに同室に入院している女性がいて、

会話はすることなかったけど、

隣から聞こえて来る看護師さんとの会話を

聞くに、私と同じく計画誘発分娩出産を

行うようであった。

(私と違うのは、

彼女は予定日をとっくに超えていたための

計画誘発分娩出産であるということ)

 

NSTの結果が順調だったため、

早速陣痛を起こす処置をすることになった。

 

ここから私は、出産を終えるまで

結構な回数、心が折れてしまうのである。

そして、すごく困ったことにも遭遇する。

 

心が折れたことその①

隣の女性のお産の進みの方が早い

 

誘発分娩初日はバルーン処置と

促進剤処置を同時に行なった。

 

同室の女性と、だいたい同じ時間に

先生に呼ばれてその処置をしてもらう。

(午前10時前後)

 

するとどんどんお腹の痛みが

10分置きくらい来るようになった。

 

陣痛の痛みが来ているときは

「ふぅー…ふぅー…」と深呼吸をするよう

指導を妊婦健診のときにすでに受けていた。

 

私も、深呼吸をするが、

隣からも深呼吸をして痛みを逃しているのが

聞こえて来る。

会話はしてないけど、その深呼吸を聞くと

勝手に陣痛を一緒に乗り越えていく、

同志のように感じていた。

 

バルーン処置は子宮口にゴムの袋を入れて、

その袋の中に生理食塩水を注入することで

袋を風船のように膨らませて

膨らませた袋の大きさ分だけ

子宮口を開くものであり、

完全に開いたら子宮口から勝手に

バルーンが抜ける。

膨らませた袋が5センチであれば

子宮口も5センチ開いたということ。

私は、処置を開始する前は1センチが

ギリ空いてるかなーくらいの状態だった。

 

確かに痛みは出て来たけど、この時点では

【お昼ご飯までお腹空いたな何かな】と

考える余裕は大いにあって、

実際12時頃に来た初入院食のお昼ご飯は

全部食べることができた。

 

 

でも、14時頃から痛みがどんどん増していく。

10分置きに陣痛が来るたびに深呼吸をする。

 

 

16時頃になったとき。

隣の女性がナースコールを押し、

来てくれた看護師さんに言った一言

 

「バルーン取れたかもしれないです」

 

マジで?

確認してもらうとホントに取れていた模様。

 

ついでに〜みたいな感じで

その看護師さんが私のところまで来て

私のバルーンの進み具合も見てくれた。

 

「全然まだ取れてないね〜」と。

 

 

マジで?

こんなに痛いのに?

(そのときは本気でそう思っていたけど、

今思えば全然序の口の痛さである)

 

もう夜ご飯のメニューを考える余裕はなく、

夜ご飯はギリ半分食べること

できたかなくらいだった。

 

結局、私のバルーンが抜けたのは

20時頃だった。

 

バルーンが抜けて安心した横で、

また隣の女性がナースコールを押していた。

 

来てくれた看護師さんに言った一言

 

「今トイレ行ったらおしるし来てました!」

 

 

マジで?

全然私、おしるしとか兆候ないんだけど。

 

 

なんか、私、

進み具合遅れてない?

全然同志じゃねーわ!!

 

焦る必要はどこにもないのに、

隣からどんどんお産が進んでいる様子が

わかると、置いていかれる感覚が

すごくて、心が折れました。

 

出産のときは、できれば

立ち会いしてくれる知ってる人は一緒に

いてほしいけど、

知らない人は一緒の部屋にいない方が

心の安定は保たれるかもしれないです。